4月27日 『化学反応 Feat. ボールペン、シャープペン、シャーボ、多機能ペン、マーカー、修正具などの筆記具メーカーのゼブラ株式会社。替芯・部品の販売、修理、お客様相談室。ペン字や宛名の書き方、筆跡診断など。 Zeebra & DJ OASIS』Kダブシャイン(Atomic bomb) 11月23日 『ビートモクソモネーカラキキナ2016 REMIX Feat. かたやLAはハリウッドだったりビーチ・カルチャーだったり、綺羅びやかだった。でもゲトーは超ゲトー。東海岸と西海岸は屈折の仕方が絶対的に違うよね。」, 映画『オール・アイズ・オン・ミー』では、2PACの幼少期から凶弾に倒れるまでの、わずか25年という短くも色濃い人生を描く。2PACを演じるのは、新人俳優のディミートリアス・シップ・ジュニア。在りし日の2PACの魂を全身に宿らせた熱演には驚かされる。N.W.A.の物語を描いた『ストレイト・アウタ・コンプトン』(2015)でも2PACによく似た俳優(マーク・ローズ)が登場したが、『オール・アイズ・オン・ミー』のディミートリアスの憑依っぷりは見事だ。Kダブシャインも「ライブのシーンの2PACのあのヨコに動く感じのパフォーマンスとかさ、特徴をとらえてるよね」と太鼓判を押す。, 『オール・アイズ・オン・ミー』では2PACの激動の人生を取り巻く人物が次々登場する。デス・ロウ・レコードの社長で2PACの世話を見たシュグ・ナイト、そしてドクター・ドレー、抗争に陥ったノトーリアス・B.I.G.、デス・ロウで2PACと西海岸ラッパーの人気を二分したスヌープ・ドッグ…。特にドミニク・サンタナ演じるシュグ・ナイトの迫力と胆力は瓜二つで、ZeebraとKダブシャインも驚きを隠せない。, 2PACの魂は脈々と受け継がれ、現代の日本でもその人気はまったく衰えない。日本のヒップホップシーンは今や『BAZOOKA!! Zeebra & AK-69』DJ RYOW(MS Enterteiment) 12月7日 『Com on! kダブシャイン(mc) zeebra(mc ) dj oasis(dj・mc) kgdr(キングギドラ)は、日本のヒップホップグループ。1993年にキングギドラ名義で結成し、1995年に発表したデビュー・アルバム『空からの力』は日本のヒップホップ界のみならず、幅広い音楽シーンに影響を与えるも 、1996年に活動を停 … 「若い人たちにはピンと来ないかもしれないですけど、当時はインターネットが無いじゃないですか。だから例えば『死んじゃった』というその瞬間に訃報が駆け巡るっていう程じゃなかった。」, 今なお伝説として語り継がれるカリスマ・ラッパー、2PAC。その21回目の命日となった2017年9月17日。日本のヒップホップ・シーンを牽引するZeebraは、1996年の2PACの死を思い出していた。Kダブシャインも、その衝撃を思い出す。, 「9月13日に2PACが亡くなったんだけど、6日くらい前(現地時間9月7日)に撃たれて入院したじゃないですか。入院したという情報は、CISCO(レコードショップ)に(知らせが)貼ってあった記憶がある。亡くなったタイミングで、カリフォルニアの友達からも電話がかかってきて。」, アルバム総売上枚数7,500万枚を超える2PAC(本名トゥパック・アマル・シャクール)は人気絶頂の最中、25歳の若さで凶弾に倒れた。ラスベガスで友人のマイク・タイソンの試合を観戦した後の襲撃事件だった。, ラッパーであり、ハリウッドスターであり、天才詩人であり、ギャングであり、アクティビスト…2PACの壮絶な半生と知られざる真実を描く伝記映画『オール・アイズ・オン・ミー』の日本公開(2017年12月29日)に向けたイベントが、9月17日に東京都渋谷のライブハウス「WWW X」で開催、ZeebraとKダブシャインの特別トーク・セッションが開催された。, 2PACがこの世を去った1996年9月、日本のヒップホップ・シーンは「さんぴんCAMP」の残響にあった。ZeebraとKダブシャインは当時キングギドラ(現KGDR)として名作『空からの力』をリリースしてから間もない。Zeebraは「とにかく忙しかった。月に10~15本くらいライブが入っていて」と振り返ると、Kダブシャインは「96年くらいは、ちょうど外タレの前座とかもやってた頃だ。EDO.G.とかデフ・スクワッドとかとやってた頃」と思い出す。, 2PACの死を巡っては、しばしば「ヒップホップ東西抗争」が挙げられる。1990年代中頃、アメリカのヒップホップ界は西海岸と東海岸の真っ二つに割れていた。2PACを代表する西側のデス・ロウ・レコード、そしてビギー(ノトーリアス・B.I.G)やパフ・ダディ(ショーン・コムズ)ら東側のバッドボーイ・レコードが激しく対立していたのだ。, 『オール・アイズ・オン・ミー』でも描かれるように、2PACとビギーの間には確かに友情があった。ステージでは共演し、プラベートでも交友関係にあった。, ある夜、仲間と共にタイムズ・スクエアのレコーディング・スタジオを訪れた2PACは、ロビーで軍服姿の2人の黒人に遭遇。この姿が親友ビギーの出身地であるブルックリン・スタイルだったため、2PACはビギーの仲間だろうと安心していたという。また、上階の踊り場からビギーの付き人の声が聞こえたことも、彼を油断させていた。「俺はブラック・コミュニティを代表する、いわば黒人の”大使”だ」と尊大な自覚もあった2PACだったが、直後その黒人らに襲撃される。5発の銃弾を受け、2発が頭部に、2発が股間に命中。そして1発は手を貫通し、太ももの動脈に直撃するも、急所は外しており意識は保った。, 犯人らが立ち去るまで死んだふりを続けた2PACは、よろめく身体を引きずってエレベーターで上階に逃げ、レコーディング中のビギーらの元に辿り着いた。そもそもこの日タイムズ・スクエアに呼んだのはビギーらバッドボーイ・レコードだった。被弾した2PACが現れると、ビギーらは驚き、介抱を避けたという。奇しくも事件当日にリリースされたビギーの楽曲『Who Shot Ya?』も、2PACの疑いを買った。このことから2PACは、自分はバッドボーイ一派に襲撃されたのだとの主張を始める。バッドボーイ側はこの疑惑を真っ向から否定しており、警察の発表では犯人は単なる物取りだったとされている。, 1996年6月には2PACがビギーら東側のラッパーをこき下ろすディス・ソング『Hit ‘Em Up』を発表するなど、その後の東西対立は激化の一途を辿る。同曲は、ヒップホップ・カルチャーの側面でもある”Beef”(互いにラップや楽曲でディスり合う行為を含めたラッパー同士の抗争の総称)を象徴する一曲としての声が今なお根強い。, ただし渦中の2PAC自身は、東西抗争に疲弊しきっていた。彼を死に至らしめた銃撃事件の3日前、生涯最後のMTVアワード出演後のインタビューにて、東西抗争について訪ねられた2PACはこう答えていた。, 「周りが騒ぎすぎなんだよ。あんたら(メディア)も話していいことと悪いことがある。東西抗争はメディアが経済効果を狙って仕掛けたんだ。それをドラマ化している。MTVは大好きだが、俺たちを勘違いするな。東西抗争だなんて。 ラッパーのKダブシャインが、同じヒップホップユニット・キングギドラ(現・KGDR)のメンバーであるZeebraとロックバンドDragon Ashのボーカル降谷建志とのビーフ(※揉め事のこと)を振り返った。 品名 品番 インク色 サイズ 価格; jk-0.4芯: rjk4-bk: 黒: 全長96.0mm 最大径3.5mm: ¥88(税抜価格¥80) rjk4-bl: 青: rjk4-r: 赤: rjk4-fb: ブルーブラック /, 「砕け散るところを見せてあげる」(C)2020 映画「砕け散るところを見せてあげる」製作委員会 /. 審査員として出演していた Kダブシャイン は、同じく審査員の作家・LiLyの胸元を覗き込み、さらにはLiLyが話している横で男性器をくわえるかのようなジェスチャーを行った。 近田春夫 - いとうせいこう - ecd - muro - twigy - boy-ken - かせきさいだぁ - m.c.a・t - rino latina ii - you the rock★ - kダブシャイン - zeebra - kj - dev large - nipps - dabo - verbal - 般若 - rumi - 童子-t - darthreider - tokona-x - 漢 a.k.a. 2PACの命日である9月13日 (水)に映画『オール・アイズ・オ ン・ミー』 (12月29日公開)の公開を記念し、ラッパーのZeebra、Kダブシャインをゲストに迎えての トークイベントと、シークレット上映会が開催されました。 テレビ朝日『フリースタイルティーチャー』番組サイト。ラッパーとラップ好き芸能人がタッグを結成!二人三脚でバトルを目指す!ヒップホップの歴史や伝説的人物を解説するコーナーも! 『最終兵器』(さいしゅうへいき)は、キングギドラによる2枚目のアルバム。2002年10月17日発売。発売元はデフスターレコーズ。映像作品「最終兵器」、「凶気の桜」オリジナルサウンドトラックと同時発売。 スタッフメモ Zeebra、Kダブシャイン、DJ OASISという、ソロとしても十分すぎるキャリアを誇る2MC + 1DJが一つに合体し、その名の通り"三ツ首の怪獣"のような破壊力で日本の音楽シーンに強烈なインパクトを与えたキング・ギドラ。 これは彼らが1995年にリリースした衝撃のデビュー・アルバム。 「21ブリッジ」(C)2019 STX Financing, LLC. Zeebra&Kダブシャイン、伝説のラッパー・2パックとのマル秘エピソードぶっちゃける 2017年9月14日 15:30 息の合ったトークで観客を魅了 !高校生ラップ選手権』やZeebra自身がオーガナイザーを務める人気TV番組『フリースタイルダンジョン』の成功でかつてないブームが起こっており、若手ラッパーも次々に登場している。日本語ラップシーンの立役者の一員でもある2人は全国の若手ラッパーにアドバイスを求められ、Kダブシャインは「オリジナリティの方が大切だよ、本気で活動を続けていくのであれば。だけど歴史を知るのも大切。知れば知るほど栄養になるだろうし、フリースタイルでも活かせるから。(今の時代の若者は)逆に羨ましいかもしれないな」とエールを贈る。, Zeebraは「音楽だから、音を聴いて分かることだけでいいっちゃぁいいんだけど。でもこうして話しているみたいに、時代背景がどうだったかっていうことまでを知ったほうが、曲やアーティストを理解できたりする。そこまで意識しながら色々なものを見聴きしたほうがいい」とアドバイス。「もしアーティストになりたいんだったら、逆にそこまでしなきゃダメだと思う。だって、それで飯を食うんだから、人より勉強しないと」と、目の覚めるような言葉が贈られた。, ヒップホップ・ファン必見の映画『オール・アイズ・オン・ミー』は2017年12月29日(金)より、新宿バルト9ほか全国ロードショー。イベントの最後、Zeebraは本作のポスターパネルで2PAC(ディミートリアス)が額に巻いた白いバンダナを指差し、「むかし俺がDragon AshのPVでこの被り方をしたら”魚屋みたい”って言われたから」と笑いを誘い、ステージを去った。, THE RIVER編集部スタッフが選りすぐりの情報をお届けします。お問い合わせは info@theriver.jp まで。, ライブの後に六本木のCIRCUSっていうクラブでDJ FuzeがDJをやることになって、, 「男のファンが”いつも聴いてます!”って涙目で来るよりも、谷間見せてるおねぇちゃんの方に絶対なびいちゃうから」と笑うと、Zeebraも「, (男性ファンは)そういうところでアーティストと仲良くなろうとしてもムダだから」と同調。Kダブシャインが, 「そういうコネクションは俺らも持ってるよね。当時フレイヴァー・フレイヴ(パブリック・エナミー)も女の子絡みで仲良くなれたじゃん。ホラ、あの青学行ってた娘…」と、生々しいエピソードまで飛び出す。, 時代の面影はあるんだよね。アクティビスト的な発言をラップするようにはなっていたから、東海岸のラッパーに影響を受けていたと思う。」, 「俳優としての成功が音楽のキャリアを牽引したと言っても過言ではない」と分析する一方で、, 「(ラッパーと俳優の)二足のわらじな感じもしたから、2PACをラッパーとしてのめり込んで聴こうとはしなかったんだよね」と打ち明ける。Zeebraも, 「LL・クール・Jに続くマッチョで裸なタイプのラッパー。実はそういうラッパーってそう多くない」とKダブシャインが評価すると、Zeebraも「やっぱセックス・シンボルだよね」と頷く2PACの綺羅びやかなカリスマ性は、しかし彼の真摯で知性的なアティチュードに支えられる部分も極めて大きい。『オール・アイズ・オン・ミー』でも描かれるように、2PACの母アフェニ・シャクールは, 黒人解放を目的として結成されたブラックパンサー党のメンバーで、黒人としての自分たちの地位向上に全身全霊を捧げていた。, Zeebra「それこそ、ニューヨークの大停電(1977)で一気にヒップホップが盛り上がったわけでしょ。みんな停電の間に機材をいっぱい盗んで、それでアーティストがいっぱい出来上がったっていう。荒廃しきっているところから建設的にいくしかなかったというのが80年代当時のニューヨークのヒップホップかなと思っていて。, 「ライブのシーンの2PACのあのヨコに動く感じのパフォーマンスとかさ、特徴をとらえてるよね」と太鼓判を押す。, 『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』公開まで3ヶ月、新予告編はいつ公開?ワールドプレミアの日程が決定. kダブシャイン(ケーダブシャイン、本名:各務 貢太〈かがみ こうた〉、1968年 5月8日 - )は、日本のヒップホップ mc、タレント。 ヒップホップグループkgdr(キングギドラ)のメンバー。 所属事務所はワタナベエンターテインメント。 旧表記はk dub shine。東京都 渋谷区出身。 [映画.com ニュース] 伝説のラッパー、2パックこと故トゥパック・シャクールさんの半生を描く「オール・アイズ・オン・ミー」のトークイベントが、命日である9月13日に都内で開催。ゲストとしてラッパーのZeebraとKダブシャインが登場し、ヒップホップの歴史を絡めて赤裸々トークを繰り広げた。, 故トゥパック・シャクールさんは、気鋭のラッパーとして人気絶頂のなか、1996年に米ラスベガスで銃撃され25歳でこの世を去った。映画では、エミネム、スヌープ・ドッグ、ドクター・ドレーといったミュージシャンたちにも影響を与えてきた2パックの死の裏側に何があったのかを解き明かす内容になっているという。ディミートリアス・シップ・Jr.が2パックを演じ、「バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生」のローレン・コーハン、ドラマ「CSI:ニューヨーク」のヒル・ハーパー、「ウォーキング・デッド」のダナイ・グリラらが脇を固める。2パックの高校の同級生でもあった女優ジェイダ・ピンケット・スミスには、カット・グラハムが扮する。, Kダブシャインは「高校の時のルームメイトが、(2パックがかつて所属していた)デジタル・アンダーグラウンドの(当時の)メンバーのDJ・フューズと同級生で紹介とかされて。だから、デジタル・アンダーグラウンドが出てきたときには、気にしなきゃいけないなって思っていた」と振り返る。デジタル・アンダーグラウンドが来日した際には、六本木のクラブで会ったというが「2パックは女のケツばっかり追っかけていたよ。俺と割と仲のいい黒人の女の子が、2パックと恋仲にはならなかったけど仲よくしていた。『女紹介しろ』とかそういうことを言われていたんだと思うよ」とぶっちゃけ、会場の笑いを誘う。「男のファンが『いつも聞いています』って言って涙目でくるより、お姉ちゃんのほうになびいちゃうから。そういう話をちゃんと聞いてくれるのはRHYMESTERだけ」との発言も飛び出し、客席からは再び笑い声が上がった。, 2人は、2パックに対してはミュージシャンとしてというより俳優としてのイメージが強いといい「途中から俳優2パックが好きだった。フェミニストでセックスシンボル、普通にグッドルッキングだよね」(Zeebra)、「俳優としての活躍が音楽を引っ張ったんじゃないかな」(Kダブシャイン)と語った。, イベントでは、ラッパーを目指す次世代の若者に対して「オリジナリティの方が大切だよ。ただ、(ほかの音楽を)知れば知るほど栄養になるだろうし、そういう意味では(ネット世代の若者が)逆にうらやましいかも」(Kダブシャイン)、2パックが活躍した当時のミュージックシーンを解説して場をうならせたZeebraは「時代背景も知ったら、音楽やアーティストをより理解できる。自分がそうなりたければ、そこまでいかなきゃ。それで飯を食うんだから」と熱いエールを送っていた。, 「オール・アイズ・オン・ミー」は、12月29日から東京・新宿バルト9ほか全国で公開。, オール・アイズ・オン・ミー Tシャツ・ステッカー付きBOX(初回限定生産)[DVD], オール・アイズ・オン・ミー Tシャツ・ステッカー付きBOX(初回...[Blu-ray/ブルーレイ], 「スーパーマン」が再リブート J・J・エイブラムスのプロデュースでDCエクステンデッド・ユニバース再生へ, ハーモニー・コリン×マシュー・マコノヒー「ビーチ・バム」予告 浅田彰氏「真の自由人の姿を描く美しい映画」, 【2週間無料トライアル】メジャーからZ級まで世界中のホラー映画・ドラマが《見放題》, アンモナイトの目覚め 息を殺して見守らずにはいられない、2大女優が紡ぐ足枷から解き放たれた絆, パーム・スプリングス 盛りだくさんな要素で楽しませつつ、本質的には現代的で勇猛果敢な人間ドラマ, 第2回:新風を吹き込んだ「るろうに剣心」で実現させたかったこと - 挑み続ける男 大友啓史10年の歩み -, 第11回:マーベルドラマ「ワンダヴィジョン」は米シットコム史の絶好の教材 - ご存知ですか?海外ドラマ用語辞典 -, 母親たちの運命は、どこで狂ってしまったのか…菅野美穂×高畑充希×尾野真千子「明日の食卓」予告編, ゴジラVSコングVS「MAN WITH A MISSION」! 日本版主題歌「INTO THE DEEP」を担当, 「タイタニック」金曜ロードショーで5月に2週連続放送! ディカプリオの吹き替えは石田彰, 【コラム/細野真宏の試写室日記】「劇場版シグナル」の出来、恋愛映画の快進撃、「鬼滅の刃」400億円の見通しは?, 佐藤健×阿部寛「護られなかった者たちへ」に永山瑛太&緒形直人ら演技派・個性派13人参戦, 永野芽郁、広瀬アリスらが大真面目にふざけ倒す! 「地獄の花園」本ポスター&場面写真, 「パーム・スプリングス」(C)2020 PS FILM PRODUCTION,LLC ALL RIGHTS RESERVED. Feat. もはや説明不要、社会派kダブシャインが、世界の時事問題に物申す!最新hiphopシーンの紹介など、b-boyなら知っておくべき情報を発信するキュレーションマガジンです。毎週第2第4木曜日配信予定。 ラッパーであり、ハリウッドスターであり、天才詩人であり、ギャングであり、アクティビスト…2PACの壮絶な半生と知られざる真実を描く伝記映画 『 オール・アイズ・オン・ミー 』 の日本公開(2017年12月29日)に向けたイベントが、9月17日に東京都渋谷のライブハウス「WWW X」で開催、ZeebraとKダブシャインの特別トーク・セッションが開催された。 KダブシャインとBUDDHA BRANDのDEV LARGEのビーフは、2004年に勃発しました。 事の発端は、DEV LARGEがインターネット上に、Kダブシャインへ向けて、ディスソングをアップしたことから始まりました。 約9分の動画の前半3分は、曲ではなくてKダブシャインへ向けた悪口で、ディスソングは約6分間です。 「Kダブシャイン」と名指しでディスっていたり、Kダブシャインの曲「ラストエンペラー」や「ソンはしないから聞いときな」なども痛烈にディスっています。 All Rights Reserved. MC:2PACは96年9月13日に亡くなりましたが、彼の訃報をきいた時の記憶はありますか? Zeebra:俺らは当時はとにかく忙しかったね。月に10、15本ライブがはいってたので。 安保法案に反対し、国会前でデモを行うなど話題を集める学生団体「SEALDs」。若者が政治に関心を持つことが称賛される一方で、「考えが足りない」など批判も多い同団体の活動に対し、ラッパー・Zeebraが自身のTwit kダブシャインが発起で行われ、k ... ギドラとして表舞台に上がることが少なく、音楽から身を引こうと思っており、またzeebraとk-dub shineも意見の相違で関係が悪い状態だった。しかし、リリース前に出回ったデモ・テープの影響は大きく、 ラッパ我リヤのqは「デモ・テープを100 メディアは世界中に架空の東西抗争を報道している。それが問題だ。俺たちももっと模範的になる。だから作り話はやめてくれ。あんたらには権力がある。お互い自制した方がいい。」, やがて東西抗争が解消されるのを待たずして、2PACは狂乱に呑まれ、凶弾の犠牲となった。Zeebraは、この抗争をもっと冷静に、ヒップホップを愛するリスナーとして観察していた。Zeebraにとって東西の対立は、音楽性の違いを由来とする個性として聴こえていたようだ。, 「ヒップホップ自体が東海岸から始まったわけで。ニューヨークで成熟していって、80年代半ばから西海岸にも及んだ。アイス-Tが現れて、N.W.A.、Eazy-Eに受け継がれていく。, もちろんニューヨークが先にあって、絶対数も多かったので、我々も東海岸のヒップホップを聴いて育った。でも、西海岸のヒップホップが出来た時も、”これはこれで良いじゃん!”みたいな。」, 血生臭さのあった東西の対立よりも、東西のエリアごとにスタイルが異なるというヒップホップのアート性をZeebraは好んだようだ。この発見は、Zeebraのアーティストとしてのアイデンティティ形成にも貢献した。, 「我々も自分たちで音楽をやっていくようになると、“俺はニューヨークじゃなくて、東京だしな”ということに気付いていく。だから余計に西と東の違いはどうでも良いというか。むしろ、それはそれで楽しいものだと思うようになった。」, ちなみに日本のヒップホップ・シーンにおけるBeefといえば、キングギドラがDragon AshのKJをディスった2002年の『公開処刑』や、KダブシャインとDEV LARGEのBeefが思い出される。Zeebraは、若手ラッパーRAU DEFの攻撃(『KILLIN EM』)を受けてのアンサー曲『Die By The Beef』(2011)内”銃に生きる者は銃に死すように/Beef に生きる者はBeefに死す”のパンチラインも未だ鮮烈だが、Beefカルチャーの是非について尋ねられるとKダブシャインと「いいに決まってますよ」と口を揃えた。「俺もやられたこといっぱいあるし。やったことはあんまりないんだよ?」と加える。, 『To Live & Die in L.A』など、西海岸出身の印象もある2PACだが、生まれはニューヨークで、カリフォルニアに移住するのは1988年のこと。1990年には当時既に人気を誇っていたグループ、デジタル・アンダーグラウンドに加入する。当時は「MCニューヨーク」というMCネームだったが、Zeebraは「改名して本当に良かったよね」と笑う。時同じくして、Kダブシャインも西海岸にゆかりを持っていた。, 「たまたま高校の時のルームメイトが、デジタル・アンダーグラウンドのメンバーのDJ Fuzeと同級生で、紹介してもらっていて。だからデジタル・アンダーグラウンドには親近感を持ってた。」, 1990年、デジタル・アンダーグラウンドは来日を果たしていた。Kダブシャインがその当時の貴重な証言を語る。, 「クラブチッタにデジタル・アンダーグラウンドとクイーン・ラティファが一緒に来てて、ライブの後に六本木のCIRCUSっていうクラブでDJ FuzeがDJをやることになって、デジタル・アンダーグラウンドもそこに来た。DJ Fuzeとは知り合いだったから、”おぉ”みたいな感じはあった。でもなんか、2PACは女のケツばっか追いかけてたよ。」, Kダブシャインが「男のファンが”いつも聴いてます!”って涙目で来るよりも、谷間見せてるおねぇちゃんの方に絶対なびいちゃうから」と笑うと、Zeebraも「みんな基本そうですよ。(男性ファンは)そういうところでアーティストと仲良くなろうとしてもムダだから」と同調。Kダブシャインが「そういう話をちゃんと聞いてくれるのはライムスターだけ」とつぶやくと、会場からは笑いが起こった。思い出話はさらに続く。, 「で、黒人の仲いい女の子がいたんだけど、2PACと割と仲良くしてた。まぁ、オンナ紹介してとかそんな事言われてたんだと思うよ。」, Zeebraからは、「そういうコネクションは俺らも持ってるよね。当時フレイヴァー・フレイヴ(パブリック・エナミー)も女の子絡みで仲良くなれたじゃん。ホラ、あの青学行ってた娘…」と、生々しいエピソードまで飛び出す。, 2PACは1991年にはソロとして『2PACalypse Now』をリリースする。Kダブシャインは解説する。, 「このアルバムにはShock G(デジタル・アンダーグラウンドのメンバー)がプロデュースしている曲も何曲か入っているから、割とデジタル・アンダーグラウンド時代の面影はあるんだよね。アクティビスト的な発言をラップするようにはなっていたから、東海岸のラッパーに影響を受けていたと思う。」, 2PACが当時の他のラッパーたちと明らかに違ったのは、彼がエモーショナルな意見の代弁者であったということだ。暴行事件などで乱暴者と理解されやすいが、”Keep Your Head Up”や”Brenda’s Got A Baby”、”Dear Mama”など女性賛美歌を歌うフェミニストとしての感性も持つ。2PACは、女性のために声を挙げた初めての黒人ラッパーだった。メディアが取り上げないストリートレベルの女性の闘いを芸術的なリリックで描き上げ、すぐさまアフリカ系アメリカ人男女の信頼を得た。, 1992年には映画『ジュース』の出演をきっかけに、ハリウッドスターとしての道も歩み始め、頭一つ抜けた名声を獲得していく。1993年には『ポエティク・ジャスティス/愛するということ』でジャネット・ジャクソンとスクリーン共演。Kダブシャインは「俳優としての成功が音楽のキャリアを牽引したと言っても過言ではない」と分析する一方で、「(ラッパーと俳優の)二足のわらじな感じもしたから、2PACをラッパーとしてのめり込んで聴こうとはしなかったんだよね」と打ち明ける。Zeebraも「途中からは、俺は”俳優2PAC”が好きだったかも」と振り返った。, 「LL・クール・Jに続くマッチョで裸なタイプのラッパー。実はそういうラッパーってそう多くない」とKダブシャインが評価すると、Zeebraも「やっぱセックス・シンボルだよね」と頷く2PACの綺羅びやかなカリスマ性は、しかし彼の真摯で知性的なアティチュードに支えられる部分も極めて大きい。『オール・アイズ・オン・ミー』でも描かれるように、2PACの母アフェニ・シャクールは黒人解放を目的として結成されたブラックパンサー党のメンバーで、黒人としての自分たちの地位向上に全身全霊を捧げていた。, 2PACは幼少の頃、母アフェニから毎朝新聞の「頭のテッペンからつま先まで」読むように教育されていたという。知性こそが最大の寄る辺だったからだ。そのおかげで2PACは、ギャングの仲間とつるみ、悪さを覚えながらも、瞬発的にシェイクスピアの一文を持ち出す知性も兼ね備えていた。2PACは、ブラック・コミュニティのダークサイドから、独自の教養と道徳でショウビズ界を照らしあげたアーティストだ。2PACの唯一性について、KダブシャインとZeebraが交互に分析を語る。, Kダブシャイン「ブラックナショナリズム、人権をしっかり叩き込まれている。黒人としてアメリカでどう生きていくべきかという哲学は母親から学んでいた。」, Zeebra「屈しない精神。ちゃんとインテリジェンスを持って反抗できるスタンスは、当時の時代背景を考えると珍しい。」, Kダブシャイン「ゲトー出身の若い人たちは、親がそんなに教育熱心じゃなかったりするから、自分たちの過去や歴史をそんなに知らない。中流階級になると親が学校を出ていたりする。例えばア・ドライブ・コールド・クエスト(1988-1998に活動したニューヨークのヒップホップグループ)とかパブリック・エナミーのチャックDとかの親は本もしっかり読む方で、アクティビズムを仕込まれている。2PACもそういうタイプ。中流とはまた違うんだけども、よりハードコアなものを叩き込まれてて、それをラップで表現するのがブラック・アメリカを発展させる唯一の方法だと見つけたのでは。」, Zeebra「今のアメリカは差別的なものが本当にタブー。最近は振り戻しみたいなものもあるけど、確実に90年代中頃まではまだまだそんなことなかった。白人が黒人を支配しているような時代だった。」, Kダブシャイン「88年くらいまでは、黒人がどういう歴史を持っているかについて興味をちゃんと持っている白人はすごく少なかった。ネーション・オブ・イスラムやファイブ・パーセンターズのアクティビストがいる中でギャングとかもあって。そのギャングがだんだんとヒップホップの方に移行してきたときに、ネーション・オブ・イスラムたちはそれを支えたんだよね。そこにズールー・ネーションが出来たし。マインド的、歴史認識としては同じだと思う。水脈のように続いているところにヒップホップがある。」, Zeebra「それこそ、ニューヨークの大停電(1977)で一気にヒップホップが盛り上がったわけでしょ。みんな停電の間に機材をいっぱい盗んで、それでアーティストがいっぱい出来上がったっていう。荒廃しきっているところから建設的にいくしかなかったというのが80年代当時のニューヨークのヒップホップかなと思っていて。 般若 & Zeebra』ACE(戦極CAICA) 2017年 kダブシャインは泣く子も黙る強面ラッパー!テレビ露出増加の理由とは? kダブシャインは強面ヒップホップグループ「キングギドラ」のリーダー! kダブシャインは、日本ヒップホップ界のパイオニア的存在である「キングギドラ」のラッパーです。 ラッパーのKダブシャインが、同じヒップホップユニット・キングギドラ(現・KGDR)のメンバーであるZeebraとロックバンドDragon Ashのボーカル降谷建志とのビーフ(※揉め事のこと)を振り返った。 ゲスト:Zeebra(46)、Kダブシャイン(49) MC:渡辺志保 .